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日本の近代硝子工業史
明治9年(1876)に品川硝子製作所が設立されました。最初の製品は舷灯用の紅色ガラスで、佐賀藩のガラス工場から来た藤山種広が製造を担当しました。明治12年(1879)には食器、その他日用品のガラス器の製造を始め、12月に化学実験所を設けて鉛丹と炭酸カリウム製造を兼業するようになりました。明治15年には英国の技師エマニュエル・ホープトマンを雇用、切子加工の技術が日本人に伝えられました。

 明治初期から中期にかけて、官業、民間など多くのガラス会社が設立されては、技術の未熟、品質、価格、供給過剰などにより長続きするところは少なかったのですが、これらの工場で技術を磨いた職人の多くは後に独立し、熟練の技術が伝えられてガラス工業の基礎を築くこととなりました。

 明治も中期になるとガラス工業も発達し、23年(1890)頃には東京、大阪、名古屋などで多くののガラス工場が稼動していたといわれています。明治後期はガラス業者の盛衰消長の著しいときでした。しかし明治末から大正にかけて工場は激増し、ガラス工業の発展は目を見張るものがありました。

■昔の名前
明治初期頃のガラスの呼称、「玻璃」「瑠璃」「ビードロ」「ギヤマン」などと呼んでいましたが、西洋文明の多くがイギリス、ドイツから多く入って来たことから、品川硝子製作所が設立された明治9年(1876)頃からは、英語やドイツ語を語源とする「ガラス(硝子)」と一般的に称されるようになりました。

■硝子工場は川の近く
当時の硝子工場は墨田区、江東区、江戸川区、品川区などに多く設立されました。これは燃料の石炭を運搬するのに主に舟を利用していたため、水路が発達した地域の川縁に工場が集中することとなりました。松徳硝子の近くにも横十間川があります。


※「大野さんの思い出ノート」より
大野さんは昭和22年に松徳硝子に入社した絵の上手なガラス職人です。現在は退職し、当時の貴重な思い出をその卓越した筆使いで記憶をスケッチし、「思い出ノート」としてつづってくれています。工場取材にいらっしゃる編集者さんにお見せすると、みなさんそのクオリティに驚愕されます。とても味のあるイラストなので、折々に紹介していきます。
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